ロボットの知能にとってもっとも重要なのは、現場から学び、試し、評価し、改善し続けられる仕組みです。
「Zen」は、ロボットが現場のマニピュレーションタスクを理解し、実行するための知能と、その知能を継続的に育てるモデル・データ基盤の総称です。
昨今のロボティクス研究では、VLA(Vision-Language-Action Model)やWAM(World Action Model)をはじめ、新しいアーキテクチャが次々に登場しています。しかし、モデルの構造やハイパーパラメータは数カ月単位で更新され、論文やオープンソースを通じて広く共有されていきます。モデルそのものは、長期の優位になりにくいのです。
重要なのは、ロボットを実世界へ展開し、稼働から得られたデータを学習可能な資産へ変換し、実機で評価しながら改善を繰り返せること。Zenの中核にあるのは、この実世界に接続された改善ループです。
現場は日本にある
VLAやWAMというアプローチが非常にホットですが、まだまだ現場との距離は大きく、研究室を出ないのが現状です。
一方で人手不足が深刻な日本では、今すぐにでも解いて欲しいと言われる現場の課題が多くあります。私たちは、最先端の技術と現場で実際に役に立つ、というギャップを埋めるべくZenの開発をしています。
最初から、実世界で検証する
Zenの最初の実装は、研究室のベンチマークではなく、病院の現場から始まりました。
私たちは2026年3月、筑波大学附属病院で、夜間の見回りや多言語での案内業務の実証実験を行いました。この実証では、コミュニケーションやナビゲーション機能を中心にロボットの利活用を検証し、病院というリアルな環境で、二足歩行ロボットが障害物を避けながら目的地まで案内するユースケースを確認しました。
さらに2026年6月には、同病院でマニピュレーションのユースケースまで拡張し、採血準備のタスクを実行しました。
ここで使用したのは、単一のend-to-endモデルではありません。
長い手順を管理するステートマシン
精密な操作を担うスキルの模倣学習モデル
VLAによる事後学習モデル
これらを一つのシステムとして統合し、現場タスクを実行しました。
採血準備を構成する操作タスクについて、同一施設・同一時間帯でテレオペレーション 7/7、学習したモデル 3/6 の成功率でした。
外部研究においても、各動作を個別に最適化しても工程全体は改善しないことが、定量的に示されています。凍結VLAに残差強化学習を載せてサブタスク単位で最適化した研究では、挿入タスク単体の成功率が45.7%→92.2%に倍増したにもかかわらず、全工程の成功率は54.5%にとどまり、分解しないend-to-endベースライン(54.9%)を上回りませんでした。各サブタスクだけを最適化すると、「次工程にとって不利な持ち方」に収束するためです。サブタスク成功率は、工程完遂の十分条件ではないのです。
テレオペレーションの7/7と、学習したモデルの3/6。この差分こそが、Zenが縮めるべき距離そのものです。
現場の経験を、学習可能な資産へ
Zenが目指すのは、デモや映像の中で一度だけ成功するロボットではありません。環境や対象物のばらつき、予期しない停止、接触状態の変化を含む現場で、再現可能なタスク実行を積み重ねることです。
そのためにZenは、収集から再配備までを一本のパイプラインとして運用しています。現場のロボットや収集デバイスが記録した映像・関節・行動指令は、時刻を揃えたうえで学習可能なデータセットへ変換されます。すべてのデータセットとモデルは、バージョンと来歴(どのデータから、どのモデルが生まれたか)を管理され、学習したモデルは自動評価と実機評価を経て、はじめて現場へ戻ります。現場で新たに得られた経験は、成功も失敗も、次の学習の入力になります。この一巡が速いほど、ロボットは速く賢くなります。

データの変換といっても、データセットの質を担保するためには、自動・手動で様々なデータの検証が走ります。例えば、映像の途中で空白が空いていないか、グリッパの信号が固まっていないか、手首カメラが対象物に押し付けられて画が潰れていないか、といった機械的なチェックから、人による監査があります。
評価に関して、学習したモデルを現場へ戻す前の自動ゲートは、保留したエピソードでのopen-loopのAction-MSEです。学習に使っていない約10%のエピソードを再生し、学習済みのモデルが出す行動と、実際に記録された行動を突き合わせます。模倣学習でも事後学習でも同じゲートを通します。
closed-loopの評価では、real2sim / sim2real で構築したシミュレーション環境を用いて、チェックポイント単位の検証を行います。現場をそのまま写した環境で方策を走らせることで、実機に持ち出す前に、どのチェックポイントを採用するかを決められます。
そのうえで、最後の門は実機です。自動評価は「悪くなっていないこと」を安く速く示せますが、最終的には実機で検証する必要があります。D1という自社ハードウェアを開発しているため、この一連のサイクルをコントロール可能な形で早く回すことができます。
一つのデータソースだけでは、現実を覆えない
Zenは、実機データを中核に置きながら、人由来のデータも組み合わせます。
ロボットデータ
D1をテレオペ(遠隔操作)またはモデルによる自律で動かし、映像と行動指令が対応した実機データを取得します。
このデータは、現実の摩擦、照明、物体差、人の動きといった、本番環境に存在する複雑さを含みます。本番と同じ分布(in-distribution)であり、棚が引っかかる・対象物がずれるといった台本に無い失敗(long-tail)を含みます。顔・名札・帳票はオンデバイスでマスキングし、匿名化済みデータのみを扱います。

グローブによるデータ
D1のテレオペレーションに加え、YUBIや専用のグローブといった収集専用デバイスで、接触リッチな把持・操作データを反復収集します。
グローブには、指の関節角度を捉えるIMU(7基)と、指先から掌にかけて分布する162点の感圧センサを搭載し、1kHzで手の動きと接触を記録します。人がどこで触れ、どれだけの力で握ったか、映像だけでは残らない接触の情報を、学習可能なデータとして残せます。
ロボットのテレオペレーションだけでデータ量をスケールさせるのは、非常に困難です。収集できる量が、ロボットの台数と稼働時間に縛られるからです。一方で、グローブはロボットというハードウェアに依存しません。人が普段どおりの手の動きで作業するだけでデータが集まり、デバイスはロボット本体よりはるかに安価なため、収集する人数を増やせばそのまま並列にスケールします。もちろん、ロボットによるテレオペデータと比較すれば品質は劣りますが、この分担が、データ収集を安価に効率的にします。
動く現場デモから独自のデータ収集のサイクル
テレオペによるロボットデータに加えて、グローブを活用したデータ収集も行いますが、Zen独自の手法Field Shot Learning(FSL)で、ロボットデータの増幅も行います。
データの収集の際に、同じタスクの試行の間で実際に変わっているものを見ると、その多くは動作そのものではなく、動作が置かれる状況です。実際に変わっているのは、ロボットの位置、テーブルの位置、対象物の置かれ方、光源の違いです。動作そのものは、大きく変わりません。FSLはこの分離を実装したものです。

ロボットは一度だけ動作を見て、それ以降は実行のたびに現場を自ら計測し、教示された動作をその場に合わせて解き直して実行します。動作の中身は教示されたまま保たれ、状況に応じて変わるべきものだけが変わります。
現場で一度撮るだけで、それ以降は動作が置かれる環境を徐々に変更しながら、テレオペをせずとも自律的にロボットデータを取得できます。解き直された実行は、そのたびに新しい実機エピソードになります。実際の摩擦、実際の照明、実際の接触を含み、成功も失敗も、構造的にラベル付きで残ります。人が横についている必要はありません。データ量が人の時間から切り離され、ロボットの稼働時間にスケールします。

競争優位は、改善を生み出す速度にある
新しいモデルが日々更新され、新しいアーキテクチャが次々に登場します。
現在最も優れた手法が、数カ月後も最良とは限りません。だからこそZenは、特定のモデルだけに依存しません。私たちが積み上げるのは、モデルを入れ替えながら、実世界で検証された改善を継続的に生み出す能力です。
私たちが持ち続けたいのは、日々更新されるロボット基盤モデルをいちばん早く現場で試し、いちばん早く「本当に良くなったのか」を判定できる状態です。そのために要るのは、現場に置かれ続けているロボットと、そこから絶えず流れてくるデータと、それを疑うための評価です。Zenは、そのための基盤です。
人手不足は、待ってくれません。研究室のベンチマークが現場に降りてくるのを待つのではなく、現場の側から、動くものを積み上げていきます。
